腰越駅は江ノ島からあまり遠くありませんし、腰越海岸と片瀬東海岸はお隣ですから、そんなに遠くもありません。
腰越駅の看板 鎌倉彫ですかね。
満福寺は、源義経が平宗盛らを連れて鎌倉直前まで来たのですが、これ以上は源頼朝の怒りをかっていて、鎌倉には入れてもらえなかったために逗留し、腰越状を書いたことで有名なところです。
源義経は、腰越状で、武功についてと忠誠は変わらないことと諫言があることを、大江広元を通じ源頼朝に訴えますが許されず、ここから京へ戻ることになります。諫言というのは梶原景時諫言説ですね。ただ武功を誇らず、忠誠心を持っていれば、京からの官位を受けてしまうということもなかっただろうとも言われています。戦略は頼朝、戦術は義経で、大いに頼朝の力があったからこそ勝てたという見方もされているわけです。
義経が再び、この地に戻ってきたときにはすでに首だけだったとのこと。
そういう歴史のあるお寺です。
中には、腰越状や鎌倉彫のふすまがあります。ふすまには義経、弁慶、静御前といった人たちが彫られています。流浪時や平泉で敗れたときのの姿とか。
満福寺の目の前にある線路は、江ノ電の線路です。
満福寺の本堂です。この中に襖絵があります。いろいろな鎌倉彫もあります。
弁慶ゆかりの石
源義経の碑です。
お寺の前に、きれいな青いアジサイが咲いていました。
江ノ島のすぐ近くですから、鎌倉はもう目の前です。そこで引き返さなければならなかった義経の無念さはいかばかりだったでしょう。もうすこしで鎌倉なんですが、義経は源氏の将でありながら、結局鎌倉に入ることはなかったんですね。
お寺の中に、タッキーのポスターもありました。
このお寺からは見通しがよければ富士山が見えます。この日はかすかにみえていました。
ところで、義経のひよどり越えは史実ではなく、ひよどりに平家の背後から坂落としできるような場所はなく、史実は義経と頼家によるはさみうちだというのは、本当ですかね。ひよどりというところも実際に見てみたいですね。




