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鎌倉観光おすすめ 湘南の風

2011年05月11日

鎌倉 枝柄天神 絵筆塚

荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)

日本三天神のひとつ 菅原道真公をまつってます

福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮があとの2つ


受験生がたくさんきます

5月5日はあまり混んではいませんでした

お正月にきたときはかなり混みあってましたが


ここには絵筆塚があります


先日テレビでロケットがあるっていって空撮されてました。

たくさんの漫画家さんの河童のキャラクターがこの塚にはあります。


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ここには大銀杏があります。

鶴岡八幡宮の大銀杏は倒れましたが、こちらは健在

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小笠原流鎌倉古式弓道保存会 草鹿神事

鎌倉観光おすすめ04120110507.jpg小笠原流鎌倉古式弓道保存会 草鹿神事

鎌倉宮でやっていました。

はじめてみました

古式弓道

鹿の人形のような的を射てました。

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2006年06月16日

鎌倉 十王岩 天園ハイキングコース 建長寺へ 十王岩

鎌倉天園ハイキングコース建長寺のほうへ行きます。先の記事の今泉台からのつづきです。建長寺のほうへ行くと、十王岩展望台があります。ちょっと道がわかれてますので、通り過ぎてしまいそうになりますが、一応看板もでてます。

十王岩を下からみたところです。この岩を通り過ぎちゃうと見逃しちゃったことになりますからね。

森の谷から吹き上げる風の音が泣き声のように聞こえたことと、この岩とを結びつけて、わめき十王岩とも呼ばれるそうです。

王岩1.JPG

十王岩には元々は閻魔十王が彫られていたそうですが、風化でいまは三体です。もともとの姿は円応寺に行くとイメージできるそうです。まだいったことありません。閻魔大王坐像があって、十王像があるとのこと。

王岩2.JPG

ここからは鎌倉が一望できます。真ん中の太い通りが若宮大路です。ちょっと天気が悪いんであまりきれいじゃないですが。晴れていればもっと良く見えるんですけどね。

王岩3.JPG

反対側には今泉台住宅地があって、鎌倉湖の森も見えます。

王岩4.JPG

建長寺への道は平坦ではありません。くれぐれも革靴やハイヒールでは来ないで下さい。滑りやすいですし、すべって転ぶと危ないです。谷へ落ちそうになったり、下が岩だったりするんで怪我しますよ。

鎌倉観光にきて、そのまま天園にはいっちゃう人がときどきいるんですよ。危ないですし、転ばないまでも汚れますからね。

王岩5.JPG

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2006年06月04日

鎌倉 玉縄城址 難攻不落の出城玉縄城

鎌倉市大船の駅の西側には小高い山があります。右側の山には大船観音があり、左側の山には清泉女子高があります。

左側の山の清泉女子高は、昔の玉縄城の跡地にあります。今は城の面影はありません。城址も女子高の中にある。まわりをあまり徘徊していると変な人と間違えられるのでお気をつけください。

ここは鎌倉の出城とかいうわけではなく、小田原北条氏の出城だったところで、難攻不落といわれた城です。まわりをあるくと確かにここに城があったんだと攻めにくいだろうと思います。回りもよくみえるだろうなというところにありますし。

上空から見た地図はこんな感じです。 鎌倉市玉縄付近地図

航空写真にしてみてみてください。でも高低がわかりにくいですね。

近くの地名には玉縄とか城廻とか長尾台というのが残ってはいます。

駅の側から玉縄城址をみた感じはこんな感じです。

鎌倉市大船玉縄城址.JPG

そして、こちらが観音様の山。山の右側の先にみえるのが長尾台です。

鎌倉市大船観音長尾台.JPG

長尾台といえば、長尾砦があったところなのですが、ここは長尾氏のゆかりの地です。長尾氏といえば、長尾影虎です。後の、上杉謙信ですね。
鎌倉大船上杉謙信のゆかりの地があるというのも不思議なもんです。上杉謙信といえば日本海側の戦国大名ですもんね。上杉謙信のルーツをたどっていくと鎌倉にたどり着くなんてね。

歴史が好きで、歩きながら昔に思いを馳せられる方は歩いてみてはいかがでしょうか。何が残っているというわけでもないので、何かがないとという人にはお薦めできませんが。

近くには、フラワーセンター大船植物園があります。よく小学生が遠足でいったりするところです。


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2006年06月01日

鎌倉 幕府の守り 幕府の裏山の軍事要塞

今の横浜市栄区證菩提寺というお寺があります。真言宗のお寺で今はそれほど大きくはないお寺です。治承4年1180年、石橋山の合戦で、源頼朝をかばい、戦っているうちに頼朝を逃れさせ戦死した佐那田与一の霊を弔うために、源頼朝鎌倉幕府を開いた後の建久8年1197年創建したと伝えられる古寺です。

鎌倉鬼門を守る位置に頼朝を守って死んだ与一の霊を弔った。
かつては広大な敷地をもっていた寺だったそうです。この周りには職人なども集められ、鍛冶ケ谷などの地名も残っています。源氏衰退とともに荒廃したとのことですが、北条泰時の娘、小菅ケ谷殿によって嘉禎元年(1235年)に新阿弥陀堂が再建されました。そのときの阿弥陀三尊像は、重要文化財に指定されていて、本堂脇のコンクリート作りの堂の中に安置されています。初期の本尊と伝えられる阿弥陀如来像もあるのですが、鎌倉期の作で重要文化財となっています。小菅ヶ谷という地名も残っています。
鎌倉幕府執権北条家の作った新しい阿弥陀三尊像のほうが国重なんですよね。

バス停稲荷森あたりからすこし南側の住宅地にはいって小さな川(いたち川)をわたったところにあります。いたち川の名前の由来もこのあたりが鎌倉への出入り口宿駅になっていたなごりとのことで、「出立ち」というのが変じて「いたち」になったらしいです。いたち川は蛍がみられるところがある川でもあります。

徒然草の吉田兼好は「いかにしてたちにし日よりちりのきてかぜだにねやをはらはざるらん」と詠んでいるそうですが「相模国いたち河という所にてここの名を句の上にすえて旅の心を」と題して詠んだそうです。

ところで、このお寺、広大な敷地を持っていたのですが、鎌倉の鬼門を守るというのは宗教的な意味だけではなく、鎌倉の裏山から鎌倉にはいるところに一大軍事要塞として置かれたという意味もあったそうです。今のお寺の面積とは比べ物にならないぐらいの広い敷地だったようです。

ここは横浜のグランドキャニオンの記事で書いた住宅街へ上る坂道をのぼりきったあと、その山を降りたところにあたります。

入り口のところと、本堂です。

鎌倉鬼悶・菩提寺.JPG

鎌倉裏山鬼門寺.JPG



この寺の由来がかかれてますがだいたい上記のような内容です。

鎌倉裏山鬼門寺由来2.JPG

鎌倉裏山鬼門寺由来1.JPG

本道裏にあるというのがこれですね。佐那田与一義忠の実父、義実の墓でしょうか?

鎌倉与一タ父岡崎四郎義タ近.JPG
鎌倉与一タ父岡崎四郎義タ遠.JPG

これはさらに北側の山からとったもので左側のこんもりとした木々が固まっているところがお寺です。たぶんこの写真におさまっている範囲は上の住宅街もすべて鎌倉幕府のときには全部お寺の敷地内だったと思われます。さらにもっと西側もお寺の敷地内であったと伝えられてます。

鎌倉寺遠景.JPG

鎌倉時代ゆかりの地、鎌倉の要衝と鎌倉の鬼門ということで、横浜ですが紹介しました。

鎌倉ゆかりのものっていうのは、横浜側にもけっこう残っているものです。



posted by 徒歩人 at 21:50| Comment(2) | TrackBack(2) | 鎌倉観光 スポット | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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